君と、○○のない物語
「―…公鳥っ!」
我に返った朔の視界には既に少年の姿はなく、がらがらという音が遠ざかるだけだった。
あれは公鳥だ。
記憶にはないけれど、知っている。
学校に行けずあの白い家に住み猫と空き地で一緒にいた、公鳥夏樹だ。
「あれ、大月君じゃないか」
「!…あ、先生…」
呼び掛けてきたのは朔太郎の以前の担当医だった。
「病院で叫んじゃ駄目だよ。にしても、公鳥君と知り合いなんだっけ?」
「え、と…あいつなんで今…」
「ああ…昏睡とはいえしばらくは落ち着いていたんだけどね。突然容態が悪くなったんだ。」
「昏睡…?」
「知らないの?彼、半年前に事故に遭ってからずっと眠っているんだ。」
一年前、公鳥の母親はこの病院の精神外科に入院した。
息子の一人、つまりは春海が家出したことにより心を病んでしまったそうだ。
もう一人の息子である夏樹が見舞いに通っていたが、回復することなく半年も経過してしまった。
それまで回復も悪化もしなかった彼女だが、あるとき急に病院から逃げ出し、市内を探し回った夏樹がようやく見付けた時、彼女は歩道橋の上にいた。
柵から身を乗り出した母親を引き留めた夏樹を、彼女は逆に突き飛ばし―…
朔太郎が入院していた頃に病院を出入りしていた茅原は、きっと公鳥の見舞いだ
ったのだろう。
誤魔化すように『難しいんじゃないかな』と言ったのは、公鳥を知られるのを遠ざけるためだろうか?