君と、○○のない物語

「それに伊月くん、あの世界が消えて目を覚ましてからも、あの世界を違和感程度に少し覚えてたでしょ?そんなの、今までは誰もなかった。だから本当に気付かれたらどうしようって思って…頭おかしいって、思われたくなくて…」

茅原は次第に下を向きながらおどおどし始めた。
泣きそうな訳ではないが、若干目は泳いでいる。
だが数秒で、何か決心したようにこちらを向いて頭を深く下げてきた。

「…だからその…ごめんなさい!伊月くんに嘘ついたり、夏樹を遠ざけたり…、ごめんなさい!」

「ちょ、いいよそんな謝んないでっ?…茅原さんのせいじゃないでしょ、その力は。隠しておきたいのも当然だと思うし。それより、あの世界は何を望んで出来たの」

「夏樹が起きなくて…久しぶりに春海くんに会って話したりして、『前みたいに戻りたい』って…夏樹に早く起きて欲しかったし春海くんにも戻ってきて欲しかったから。」

そして、力は完璧には及ばないので、夏樹はああいう状態で、春海ではなく朔があの町に行ってしまった。

「あっちの世界で報われたって仕方ない、けど…なんで私、何処にいても誰も助けてあげられないんだろう。」

茅原は悔しそうに眉を潜める。

「…そんなの、俺だってそうだよ?春海は傷付けた上いなくなるし、公鳥だって大変だろうに何もしてやれなかった。…むしろ、ありがとう。」

「え…」

「苑生に来る前、春海がいなくなった事とかで落ち込んでばっかりだったんだ。でも引っ越してから金魚が空泳いでたり猫が喋ったりさ、楽しかったから。」

朔は気恥ずかしげに笑って言う。

「…金魚、と猫?」

「え」

茅原は疑問符をちらつかせながら首を傾げた。
そして朔ははっとする。
そういえば、茅原は空の金魚に対して以前聞いたとき訳が分からなそうにしていたのだ。

「兄ちゃんの話は確かに本当ならいいと思ってたけど、実際に望んではいないよ。」

「…茅原さんじゃ、ない?」

ならどうして―…



がさ。



「!」

道の脇の植え込みが動いて音をたてた。
飛び出して出てきたのは、茶色のあの斑猫である。
猫は朔を一瞥して、誘うように道の先へ走り出した。
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