粛清者-新撰組暗殺録-
そして、あの三人は…。

沖田総司は、既に天下分け目の戊辰戦争に参加する事もできず、江戸今戸の新撰組担当典医、松本良順宅で療養していたが、その甲斐もなく慶応四年五月三十日、処刑された近藤勇の後を追うように、二十五歳の若さで逝く。

死の間際は、庭に迷い込んできた黒猫すら追えぬほど衰弱していたという…。

…悲しみの中、総司を最期まで看取った恋人、石井秩は、総司を新撰組埋没者の多い光縁寺に埋葬。

その新撰組過去帳に、『沖田氏縁者・石井秩』と名を記し、その後の行方は定かではない…。



永倉新八は、幕末末期に勃発した勝沼戦争で幕府方が敗退後に新撰組と別行動をとり、靖兵隊を組織して壬生城から会津まで各地で転戦し、その後江戸から松前藩へと渡り、明治十五年、樺戸監獄剣術師範、杉村義衛と改名、小樽にその身を据えたという。

その命を兄の仇と狙っていた鈴木三樹三郎との決着がついたのかどうか、知る者はいない…。



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