大切な時間
第1章 もう一度
《アキ》
夏になるといつもため息がでる。
インターハイの結果報告、甲子園のテレビ中継、学園物ドラマの再放送。それらを観るたび、画面の中の生徒達の笑顔から輝きが、太陽の強い日ざしと共にじりじりと私の目に差し込んできて眩しくなる。
「青春だなぁ…」
今年高校三年生になる私は受験も諦めいつになくだらだらとした夏休みを毎日ゴムの切れたパジャマを着て送っていた。
学力的には決して悪いほうではない私は、努力すれば有名私立大にも入れるとこの前先生に言われたばかりである。しかしその“努力”というものが私は大の苦手だった。だから大学も指定校推薦で楽に入れる二流大学にしたし、そういう意味ではそのための“努力”はしてきたつもりだった。
高校受験をしたくないが為に中高一貫の女子校にコネで入学した。…そう、この中学受験が何もかも悪かったのだ。
小学生の時はいつも皆で先生を困らせていたから、中学校に入った時、学校のお嬢様の雰囲気に驚かされた。今まで私が育った環境とは全く逆で、スポーツや文化的活動に精を打つ子ばかりでどこを見ても“真面目”“笑顔”しか目に入らなかった。
何より自分が“優等生”になったことが最大の変化だった。不慣れなその空間に元より人見知りであった私はなかなか溶け込めなくて、反抗する気にもなれなかったし、先生や皆の前で笑顔を振りまく“優等生”になったのである。
いつしかその“優等生の自分”が本当の自分だという錯覚を起こし始め、なんとなく入った剣道部では部長を務め、ついに部至上初の都大会優勝という快挙まで成し得てしまった。
そのままエスカレーター方式で入学した高校では、勝手に期待の新人として剣道部に入部させられ、優等生であった私は自然と特別進学クラスへと入れられた。
毎日部活、毎日勉強。
いつしかそんな生活に嫌気が差し、二年生になると同時にすっぱりと部活も勉強も辞めた。インターハイ予選直前に退部届けを出し、進学の際には特別進学クラスを拒否してしまった。
今思えばあれは、遅からずやってきた私の反抗期だったのかもしれない。
その時は全てから解放された気がしたけど、日が経つにつれまた何かに縛り付けられているような気分になってきた。
夏になるといつもため息がでる。
インターハイの結果報告、甲子園のテレビ中継、学園物ドラマの再放送。それらを観るたび、画面の中の生徒達の笑顔から輝きが、太陽の強い日ざしと共にじりじりと私の目に差し込んできて眩しくなる。
「青春だなぁ…」
今年高校三年生になる私は受験も諦めいつになくだらだらとした夏休みを毎日ゴムの切れたパジャマを着て送っていた。
学力的には決して悪いほうではない私は、努力すれば有名私立大にも入れるとこの前先生に言われたばかりである。しかしその“努力”というものが私は大の苦手だった。だから大学も指定校推薦で楽に入れる二流大学にしたし、そういう意味ではそのための“努力”はしてきたつもりだった。
高校受験をしたくないが為に中高一貫の女子校にコネで入学した。…そう、この中学受験が何もかも悪かったのだ。
小学生の時はいつも皆で先生を困らせていたから、中学校に入った時、学校のお嬢様の雰囲気に驚かされた。今まで私が育った環境とは全く逆で、スポーツや文化的活動に精を打つ子ばかりでどこを見ても“真面目”“笑顔”しか目に入らなかった。
何より自分が“優等生”になったことが最大の変化だった。不慣れなその空間に元より人見知りであった私はなかなか溶け込めなくて、反抗する気にもなれなかったし、先生や皆の前で笑顔を振りまく“優等生”になったのである。
いつしかその“優等生の自分”が本当の自分だという錯覚を起こし始め、なんとなく入った剣道部では部長を務め、ついに部至上初の都大会優勝という快挙まで成し得てしまった。
そのままエスカレーター方式で入学した高校では、勝手に期待の新人として剣道部に入部させられ、優等生であった私は自然と特別進学クラスへと入れられた。
毎日部活、毎日勉強。
いつしかそんな生活に嫌気が差し、二年生になると同時にすっぱりと部活も勉強も辞めた。インターハイ予選直前に退部届けを出し、進学の際には特別進学クラスを拒否してしまった。
今思えばあれは、遅からずやってきた私の反抗期だったのかもしれない。
その時は全てから解放された気がしたけど、日が経つにつれまた何かに縛り付けられているような気分になってきた。