あいつ~序章
 あいつは背中で逃げて突き当たった流しの戸に頭を付け、両足を畳んでこちらに向けながら必死に叫んだ。

 サッカー選手の足は凶器だということを、聞いたことがある。
「・・・蹴れよ・・・お前に蹴られて死ぬならそれでいいぜ。バイクに乗ってるときも、お前と事故で死んでもいいって思った」
 あいつの顔に一瞬、恐怖の影が現れた。
 そして近づいた俺の胸に足の裏を付けて、俺を突き離そうとした。俺は蹴られる覚悟をしていたが、あいつは蹴ろうとはしなかった。
 俺は足をかわしながら、あいつの両腕を掴み力の限り引きつけた。
 体質なのか、これと言った運動もしていないのに俺の握力は林檎を握りつぶすほど強い。俺の父も祖父もそうだった。
「あっ!痛い!」
 あまりの腕の痛さの為か、あいつは足の力を緩めた。足首に力がなくなり、俺の両脇に足が流れた。
 俺はあいつの足を割ってあいつの上に覆い被さった。あいつの口を再び吸おうと顔を近づけた。あいつは怒りの目で俺の顔をじっと見つめていた。だが、ふと視線を泳がせると、
「・・・こんなとこじゃ、いやだ・・・お前の寝床に連れてけ」
 なんとかして俺から逃げる策略を巡らせているのだろう。小説家志望の俺には通じない。
「俺のスキを見つけて逃げだすつもりだろう・・・」

 図星だったのだろう、あいつは顔を外向けた。
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