actum fugae
「おはよ、翔ッ!」

「うーす」

 朝のホームルーム開始直前に、教室へと駆け込む女子生徒が葛城君に笑顔で手を振って挨拶をする。

 たったそれだけの事が、私にとってどれだけ羨ましい事か。きっと誰も知らないに違いない。

(……知られてしまうのもどうかと思うけど……)

 それでもやっぱり、ああやって周囲を気にせず彼と話す事が出来るのは同い年の特権なのだろう。

「どうしたの、元気ないじゃん?」

「別に何でもないよ。それよりほら、ちゃんと席着けって。牧瀬センセーが睨んでる」

「え?ウソー?蛍チャンごめんって。ギリ遅刻してないんだからそんな睨まないでよ~っ」

 睨んでいたわけじゃない。ただ、羨ましく思っただけ。

 私だって出来る事ならば、朝の5分間だけじゃなくて……もっと、もっと色々な時に色々な事が話したい。

 今朝の、彼の行動の“真意”を知りたい。

 ただそれだけ、だったのに。

 いきなり彼がこちらを見てくるから、私は瞬間的に声を上げる。

「べ、別に睨んでなんていませんっ!」

「めっちゃ睨んでたクセに」

 いつもとは違う、少し不機嫌そうな顔で葛城君はボソリと呟く。

 今まではどんな時だってこんな態度、私に対して取ったこと、なかったくせに。

「朝から元気だなって見てただけです!」

「ほら、やっぱ睨んでんじゃん」

「違うって言ってるでしょう……!?」

「もう、センセーたち何そんな本気で喧嘩してンの?翔の突っ込みだって冗談っしょ?」

 真面目に取り合わなくても良いじゃん。ほらホームルーム始めようよ、って。

 周囲の女の子たちはけらけらと笑い飛ばして、私の背中をぐいぐいと教卓の方へ押して行く。
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