クリアネス
普通なら、そこですぐさま本を閉じてラックに戻すのだろう。
だけどあたしは違った。
気づくと携帯を取り出し、適当に目についた広告の電話番号を押していた。
「今すぐ面接に来て頂いても結構ですよ。」
電話の向こうで若い男がそう言ったので、あたしは新宿に向かった。
その時のあたしには悲壮感のかけらもなくて、むしろ遠足前夜の子供のように浮き足立っていたのを、よく覚えている。
翌日からあたしは風俗嬢と呼ばれる存在になった。
「君、源氏名は何にする?」
中年のドイツ人みたいなビール腹をした店長が、いやらしい目つきであたしを見て言った。
「……源氏名って何ですか?」
「店での名前。本名で働くのは嫌でしょ?」
その言葉にあたしは首をかしげて
「別に、いいです。本名で」
店長は驚いたように目を丸くした。
やりとりを聞いていた女の先輩が
「本名で働くと一生抜けられないっていうよ」
と意地悪そうな口調で言った。
「いえ、本当に、さくらでいいです」
「……変わった子だね」
この瞬間、“さくら”はただの商品になった。