【短編】ノスタルジア
「あの日、トオルが屋上で抱きしめてくれたくらいには、私も。
トオルのこと慰めてあげられる自信があるってこと」

ふん、と鼻先でトオルが笑う。
そうそう。いつもそうやって強気だったじゃない。
ね、お願い。頑張って?

「ほんっと、お前の鼻低いけどさ。こうやって触ったらマジ低いな」

……ええい、今すぐ倒れてしまえっ!

私はさすがに今から手術に臨む人を叩く気にはならなかったので、ぼんっとベッドを叩いて身体を離す。

「何よ、それ。酷いーっ」

私の喚き声に、ようやくトオルがくすりと笑う。

「そうそう、フミはそんなんじゃないと。調子狂うっつーの」

え、私のせいですか?

「木崎さんー、手術室に移動します」

看護師さんが来て、てきぱきと手配していく。

「フミ、ありがとな」

戸惑っている私に、思いがけずトオルの優しい声がふってきた。プロ奏者が吹くテナーサックスのような声。

「何よ?それは!
……手術が終わるまで待っててあげるから、帰ってきてから言ってよね」

「えー、二度は言わねぇよ。もったいないっ」

そう言い捨ててくすくす笑う。ああ、本当に昔に戻ったみたいに笑うんだね。

「頑張ってね、ずっと待っててあげるから」

運ばれていくトオルに万感の想いを込めて声を掛ける。

手術室に入る直前、トオルはうっすらと目を開けて、今までに無いほど優しい瞳で私を見る。そうして、大事なことを喋るときにだけ使う、彼独特の軽い口調で呟く。

「お前が一度で自動ドアが開かない体質だってこととと、お前の元彼に奥さんが居たことにマジで感謝だな。本気で待ってろよ、フミ。すぐに戻ってくるから」

ほぉんっと、手術前までかっこつけることないのにね。
ばぁか。

私は、赤ランプのついた手術室を一人眺めながらひとりごちた。

Fin.
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