【短編】ノスタルジア
何でだろう。
そういった瞬間、トオルの頬が一瞬ぴくりと引き攣った。

そして。
私はそれをきっかけに、あの日のことをまるで昨日のことのように鮮やかに思い出してしまった。

バレンタインデーでチョコをあげた男の子から、1月経っても何の音沙汰も無くて。
こっそり屋上に泣きに行った日のことを。

++++++++++

中学生の私は屋上のドアに鍵がかかっているなんて全然知らなくて。
がちゃがちゃとバカみたいにノブを回して音を立てた。

そうしたら。
がしゃりと屋上の方からドアが開いて、今起きました、見たいな顔したトオルが呆けた顔で私を見たの。

『今から授業始まるんじゃねぇの?』

あの日は確か、金色に髪を染めていたんじゃなかったかしら。
薄曇の春の空にも映える色だなとぼんやり思った記憶がある。

『う、煩いわね。たまには一人で泣きたいときもあるのよっ』

『屋上に鍵がかかっているのも知らない優等生がよく言うよ』

私の記憶に間違いが無ければ、トオルは煙草を銜えていた。
ゆらめく紫煙を見た私は、何故か彼が大人であるような錯覚を覚えたのだ。同級生だって言うのに。

『いいじゃない、結局のところアンタが開けてくれたんだから』

『ハイハイ。どうせ俺は学級委員だけには逆らえない不良ですよーだ』

『は?何言ってんの。トオルが私に従ったところなんて見たこと無いけど』

ついつい、いつもの喧嘩口調になっていく私を見て、トオルはまだ長い煙草の火を消しながらくすりと笑った。
それは、そのときまでに見た中で一番大人びた笑いでもあった。

『で、何しに来たの?
飛び降り自殺とか言うんだったら、止めてやってもいいけど』

『バカね。そんなに思いつめるようなことじゃないわよ。
2組の斉藤にチョコレート渡したんだけど、ホワイトデーが過ぎても全然返事が来なくてさ』

そこまで言うのが精一杯で、堪えきれずに涙が溢れた。
それを、屋上を吹く風が浚っていく。
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