悪逆の檻
どのくらい時間が経っただろう。
私は、動けないでいた。
ともすれば、呼吸も忘れるほどに。
目の前の出来事に、理解が追い付かない。
私は、固まっていた。
ともすれば、現実も忘れるほどに。
カードを受け取った瞬間に、晶が消えた。
いや、消えてはいない。
晶の下半身は、目の前の椅子にある。
晶の上半身は、そこかしこに散らばっている。
腐ったトマトでも叩きつけたような色彩。
赤い飛沫が向こうの壁まで、ドット柄にあつらえている。
錆びた鉄の臭いが、鼻腔の奥にこそぎくる。
ただ、何も動かない。
空間ごと固着したかのように、空気の流れも感じられない。
止まった時間の中でも、壊れたレコードのように晶の声だけが頭の中で響き続ける。
「好きだった」
誰が、誰を?
決まっている。
私が晶を、だ。
逆はない。
逆は、ない。
仮に。
仮に、あったとしても。
そんなことを晶が、言うはずがない。
となれば、あれは偽物だ。
そうに違いない。
私より賢い晶が、死ぬ?
馬鹿げている。
そんなことあるはずない。
だって、人って、そんな簡単には死なない。
だって、いままで私のまわりで死んだのなんてごく数人だから。
それも、病気や寿命。
だから、こんな死に方なんて、ない。
断言できる。
あれは、偽物だ。
晶は生きている。
だから、私も生きていられる。
椅子から立ち上がる。
べちゃりと、広がった血溜まりを踏んでしまう。
もし、この血が晶のものだったら、私は発狂するだろう。
でも、これは他人の血だ。
私と何の関係もない液体にすぎない。
部屋の端。
ロックが解除されたらしく、緑のランプが点っている。
鈍い金属の扉を開ける。
何がなんでも勝ち残る。
本物の、晶に会うために。
ーーーーーーーー山岡 晶・死亡
敗因『恋愛感情』