覆水
 文面は完璧の筈であった。村田も、何度も読み返し、「いや、これはいい。特に始めと最後。流石だな。驚いたよ」と万感の様子。
 何の事は無い、初めと最後は兄が残していった本の盗用である。
「まあね」
 しかし、彼は鼻高々で、今日という日を迎えた。
 先程、舞花が原稿を周りに気付かれぬようにどこそかへ持ち去ったのを、彼は肉眼で確認している。
 ……大丈夫。きっと、閉口しているに違いない。
 この場合、閉口も誤りである。
 何はともあれ、頭に入らない授業を五時限目まで受け、掃除をし、帰りのホームルームまで、彼は漕ぎ着けた。
 早く授業終われ、こう念じれば、往々にして中々授業は終わらないものであるが、彼のように、妄想を膨らましている場合ではその限りでは無い。
 しかも、数学などで、急に「答えを書け」と先生に指されても、彼はその場で的確に解答を書く事が出来た。
 しかし、集中力は完全に欠けている。その日は、村田の言葉すら耳に入らない程、彼は賞賛の幻を夢見ていたのである。
「……で、明日は期末だからな。勉強してくるように。ああ。悪い悪い。では、礼。また、明日な」
 遂にホームルームも終わった。彼に取って、正に勝負の時間帯。
 村田が居ると、些かまずい事になるので、「じゃあ、今日は部活サボって家でゲームしてるわ」という、甚だ不真面目な発言に「バイバイ」と言うと、彼は席に座ったまま、待ちの体制に入った。
 裏は向かない。だが。
「佐藤君」
 来た。舞花の声である。彼は、振り向き、「あ、立野さん」と言う。
 舞花は、原稿用紙を彼に渡しながら、呆れたように、「三点」と言った。
「さ、三点!」
 彼が驚きながら、原稿用紙を受け取ると、何と丁寧なのだろう、丸文字で三点の文字。勿論赤で。
「な、なんで!」
 彼は狼狽し、舞花に尋ねる。
「佐藤君? 盗用は駄目。笑われちゃうよ?」
 舞花は、苦笑いで答えた。
 ……ああ、見つかっちゃった。彼は、赤面し、うなだれる。恥ずかしいのだ。
「けど……」
「……え?」
「コスモスも、似合う、は良かったな。から、三点」
 舞花は笑った。本日の天候は、曇り後晴れ。長い梅雨が明け、太陽が雲の隙間から夏の始まりを告げる、そんな日の事であった。
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