パラドーム
「始めはね、家出でもしたのかなぁーって。けれどね、ガクを連れ出したでしょ……。そして、居酒屋さんに行って……。そしたらね、ガクといるのが段々楽しくなって来たの……。一杯話したし、ガクは初々しくて何だか可愛いし……。久しぶりにあんなに笑った……。言いづらいんだけど、まるで……、まるで…………ッヒック、……じょうと……」 
「……もういいよ?」
 彼は一層強く彼女を抱きしめた。
 ……だからこんなにも。
 そう、それならば全て合点がいく。始めから彼女はやたらにスキンシップを求めて来ていた。そして、あの夜の寝言、昼に泣きながら言った言葉。なんで働いてもいないのにお金を沢山持っているのか。対のお茶碗の意味。たまに出る寄矯な振る舞いにだって意味はあったのだ。……そして、鳴らない電話の理由も。
 彼は瞬時に理解した。
「……この黒い服は、タマさんにとっての喪服なんだね……」
 彼は言った。この頃の彼の勘は、何一つ当たらなかったが、これだけは確信を持って言える。
「うん……。二人とも死んじゃったけど、私だけは忘れちゃいけないと思って……、ホントは明るい色も好きなんだけど……」
「見れば分かるよ?」
 彼がちらりと目配せしたその先には、ピンクのパンプスが礼儀正しそうに、まるで小動物の様に可愛く並んでいた。
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