愛情失調かなり重症
つまり、18歳から今日まで8年間.
苗字の違う父を養い,離れて暮らす母と母の男の生活費を仕送りし続ける生活が続いている。
とか。誰かに話すとまずは「なんでそんなことする必要があるの?」と言われて、それは私も全く同感.答えはわからない.
次に来るのが,「あぁ。苦労自慢ね.」っていう、言葉に出さなくても伝わる相手の感想。
冗談じゃない.苦労自慢ていうのは、過去の苦労を話して、「あの時はこんな苦労して大変だったんだよ。苦労してきたんだよ、私」ってやつでしょう。
で、苦労の末に今現在は人間的にも成長して幸せ手に入れました.っていうのが最後に来て,初めて自慢になるのではないか。
何年経っても状況も変わらずに毎日が精一杯の生活してて、何が自慢になるんだ。
でも、それをムキになって言うのが面倒くさいから,私の生活なんか他人に言わない.
というより、「あ。お金の相談されそう」って警戒されるのもまた予測済みだから、言えない.
こっそり苦労してるだけなのに、掛け持ち先全ての職場での私のイメージは、もっぱら「秘密主義」だったりする。
ろくでなしっぷりは今も健在の両親は,たまにとんでもないことをやらかしてくれる。
それはもう、結構な頻度で最近は驚きもしないけれど,給料一か月分丸々持ち逃げされてそのままお金が尽きるまで家に帰ってこない。なんてわりとザラだ。当然,電気もガスも止まって,家賃も滞納することになる。
こんなとき,仕事いくつかしてたら給料日が別々で食べるのだけは最低困らないから便利だなぁ。とか考えるのはプラス思考じゃなく現実逃避だと知ってる.知ってるけどね.
八年間のうちで私が成長した部分.それはとにかく「諦めの良さ」だろう。
家に帰ってきた父がわざとらしく泣きながら謝れば,結局私は許す。
愛情があるかというと、自分でもそうか?と疑問に思うけれど,追い出す気力はいつだって無い。受け入れて,許して.また数ヶ月もたてば同じ事をするだろう父が、本当に生活が出来なくなった時に私と一緒に共倒れてくれるのかを試したいだけなのかもしれない。
そして、答えはわかってる.その時に倒れるのは,私1人.
苗字の違う父を養い,離れて暮らす母と母の男の生活費を仕送りし続ける生活が続いている。
とか。誰かに話すとまずは「なんでそんなことする必要があるの?」と言われて、それは私も全く同感.答えはわからない.
次に来るのが,「あぁ。苦労自慢ね.」っていう、言葉に出さなくても伝わる相手の感想。
冗談じゃない.苦労自慢ていうのは、過去の苦労を話して、「あの時はこんな苦労して大変だったんだよ。苦労してきたんだよ、私」ってやつでしょう。
で、苦労の末に今現在は人間的にも成長して幸せ手に入れました.っていうのが最後に来て,初めて自慢になるのではないか。
何年経っても状況も変わらずに毎日が精一杯の生活してて、何が自慢になるんだ。
でも、それをムキになって言うのが面倒くさいから,私の生活なんか他人に言わない.
というより、「あ。お金の相談されそう」って警戒されるのもまた予測済みだから、言えない.
こっそり苦労してるだけなのに、掛け持ち先全ての職場での私のイメージは、もっぱら「秘密主義」だったりする。
ろくでなしっぷりは今も健在の両親は,たまにとんでもないことをやらかしてくれる。
それはもう、結構な頻度で最近は驚きもしないけれど,給料一か月分丸々持ち逃げされてそのままお金が尽きるまで家に帰ってこない。なんてわりとザラだ。当然,電気もガスも止まって,家賃も滞納することになる。
こんなとき,仕事いくつかしてたら給料日が別々で食べるのだけは最低困らないから便利だなぁ。とか考えるのはプラス思考じゃなく現実逃避だと知ってる.知ってるけどね.
八年間のうちで私が成長した部分.それはとにかく「諦めの良さ」だろう。
家に帰ってきた父がわざとらしく泣きながら謝れば,結局私は許す。
愛情があるかというと、自分でもそうか?と疑問に思うけれど,追い出す気力はいつだって無い。受け入れて,許して.また数ヶ月もたてば同じ事をするだろう父が、本当に生活が出来なくなった時に私と一緒に共倒れてくれるのかを試したいだけなのかもしれない。
そして、答えはわかってる.その時に倒れるのは,私1人.