フカキコカゲ
 もう、随分と昔の話である。
 だが、「私」はあの公園の光景を思い出す度、今でも「私」の理想の姿と戦慄の対象が同一だったことに身震いする。ある意味で、あれこそが究極の「森林浴」であり、自然界の力を借りた「癒し」の成れの果てとは風景への同化、つまり「遭難」なのだ、と思ったりもする。
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