無い物ねだり
(さっさと降参しなさい、新山一成。私、絶対負けないから。このまま言ったら恥かくわよ!)
(漆原、俺は死んでも負けない。吠え面かきらくなかったら、とっとと降参しろ!)
強気な私達の態度が恐ろしいのか、クラスメイトは誰も止めようとしない。困った彼らはただただ、救世主の到着を待った。
 望んで三分後、ようやく救世主は現れた。
「おはよー、今日も天気良いねえ!」
良い意味で年齢を重ね、三十を過ぎた細面の美しい女性教師が、元気な挨拶と供に入ってきた。今日は仕立ての良い白いブラウスを着て、明るいベージュ色のタイトスカートを履き、上に白い白衣を羽織っていた。歩き方はさっそうとしていて、かかとが低く先の尖ったベージュ色のパンプスは、歩くたびカッカッと音を立てた。そのたびに背中の真ん中あたりまで伸ばした、緩くウェーブした髪はフワフワと動き、やり手の大学教授に見えた。「さーて、授業始めるわよ!…って。何、そこ。『また』モメているの?」
理科の授業を担当している彼女・恩田美和子先生は、切れ長の目を少々つり上げ呆れ気味に言った。
(やっぱり言われたか…)
さきほどまでの強気はどこへやら、私は小心者のようにドキドキして、膝の上で握りしめた拳を見た。彼女の履いたパンプスのかかとが床を蹴る音が近付いてくれば、緊張で呼吸が浅くなり、ジタバタしそうになった。斜め向かいに座った新山も『しょうがないな』と言った様子で目をそらし、頬杖をついて右横を向いた。それほど彼女は怖い存在だった。
 特に『私』にとって怖い存在だった。
 彼女は、私が所属する女子バスケット部の監督なのだ。バスケットを愛する者にとって、親の次に偉大な存在だった。
 ゆえに、一ニラみでもかなりの効果があった。
「あら、もうニラめっこはおしまい?新山君、漆原さん」
「最初からしていません。…か、考え事をしていただけです。たまたま視線の先に新山君がいただけです」
「新山君は?」
「左斜め前に同じです」


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