無い物ねだり
「転がり落ちた時に、足首をひねったらしいの。骨折はしていないしヒビも入っていないけど、ひどく捻挫したから安静にして下さいって」
「ネン、ザ…」
私の胸は不安で一杯になった。心臓は早い鼓動を繰り返し、頭の中が真っ白になった。
「安静だなんて…できないよ。明日は準決勝があるんだよ。勝てば決勝…T大附属と戦うんだよ。大会のために今まで沢山練習してきたのに…出場しなきゃ意味がないよ!」
「でも無理をしたら、あとで取り返しがつかなくなるんじゃない?お医者さんの言うことを聞いて、おとなし…」
「できない!」
私は周りの迷惑も顧みず、大声で叫んだ。ベッドの周りはクリーム色のカーテンで仕切られていたが、気配や足音から室内には大勢の人がいるのがわかっていた。しかし、子供のように叫ばずにいられなかった。
 悲しくて、苦しくて、くやしくて…叫ばずにいられなかった。
 私はおなかの上にかけたタオルケットをきつく握りしめた。こんな体にした片平に、全身の血が沸騰するほどの怒りを覚えた。同じ目にあわせてやりたかった。
 気づけば、目に涙が浮かんでいた。
「…ごめん、漆原」
ふいに、新山が言った。
「・・・!」
私だけでなく、父も母も新山を見た。
「俺がもっと早く片平さんに本当の気持ちを言っていれば、漆原をこんな目にあわせずにすんだのに。マジで、ゴメン」
新山は深々と頭を下げた。それでも私の怒りは収まらず、目を背けた。
「新山君、あまり自分を責めないで。新山君は十分涼を助けてくれたわ」
「・・・」
「ありがとう、今日はもう返っていいわ。涼も意識が戻った事だし。お見舞いに来てくれてありがとう。これ、よかったら受け取って。何かとお世話になったし、タクシー代にでもして」
「いえ、いただけません。じゃ、失礼します」
新山は母が差し出した千円札に指一本触れず、さっさとカーテンの外へ出て行ってしまった。去っていく時の彼の背中は、とても寂しそうだった。



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