無い物ねだり
「時間がありません。違う病院へ行く体力もありません。先生に頼るしかないんです。どうか、お願いします!」
思いのたけを込め、言葉を放った。
 だがそれでも先生は眉間にシワを寄せただけで、何も言おうとしなかった。まだ考えていた。
 私はいても立ってもいられず、痛みに耐えながら立ち上がった。意を決すれば、床に膝をつき手をついて頭を下げた。
 生まれて初めて土下座をした。とても恥ずかしかったが、バスケットのためなら何でもガマンできた。
 ふいに激しい咳が出た。強打した腰の痛みが肺にまで達したらしい。脂汗もダラダラと吹き出し、額から床にポタリと落ちた。体に相当負担がかかっているのだろう。
 すると目の前で白い膝が床に着き、大きくて暖かい手が私の手を握った。
「土下座なんてするもんじゃないよ。さ、顔を上げて」
言われるまま顔を上げると、早川先生が優しいまなざしで見ていた。
「漆原さん、君には負けたよ。…でも僕は神様じゃないから、少ししか助けてあげられない。君の望み通りにはいかないと思うよ」
「い、いえ。少しでもいいんです!」
「じゃあ、無理しないと約束してくれるかい?出場するのは一試合につき十分だけ。もちろん練習は控えめに。…いや、しないほうがいいな」
「はい、わかりました!」
「よーし、良い返事だ。さ、ベッドまで送って行こう。歩けるかい?」
「はい、ありがとうございます」
私は嬉しくて深く深く頭を下げた。目に涙がうっすらと浮かんだ。
 早川先生と看護士に支えてもらいながらゆっくり立ち上がると、一瞬目眩がした。ただ、先生の決心を鈍らせては困るので、何事もなかったかのように一歩を踏み出した。
 部屋を出ると、待ってくれていた母と目が合った。母はやはり不安そうな目で私を見ていた。私は悪いことをしたような気持ちになり、ドキッとした。胸が痛かった。
 何もしゃべる事ができず黙々と歩いていると、早川先生は『あっ、そうだ』と小さく叫んだ。
「そういや、漆原さん。君にはとてもすばらしい友達がいるね」
「えっ?」




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