無い物ねだり
突然、恩田先生が言った。田中と佐々木だけじゃなく、ベンチにいた全員が驚いて彼女を見た。しかし恩田先生は私達の反応を予想していたのか特に驚きもせず、アゴに手をあて相手チームの監督を見た。T大附属の監督は四十代後半の男性。おなかがポッコリ出ていてすっかり中年体型だが、視線は鋭い。選手に飛ばすゲキも激しく、まさに鬼監督だ。
「あのオヤジ、やり方がエゲつないのよね」
「はい?」
「私が年下で、しかも女だから、ナメているのよきっと。本っ当、腹立つ」
「そ、そうでしょうか。気のせいかもしれませんよ、先生」
「いいえ。さっき廊下で会った時、視線が見下していたわ。『俺のチームに勝とうなんざ、百年早いんだよ』って。あー、ますますムカついてきた」
「ま、まあ先生。落ち着いて。今後のためにも冷静に行きましょう」
「そんな事、言われなくてもわかっているわ」
恩田先生は腹ただしげに言った。今にもキレそうな雰囲気に、私達はすっかり動揺した。
 すると田中と佐々木は顔を寄せコソコソと話し始めた。
「昨年苦しめられた事、よっぽど根に持っているんだろうね」
「T大附属の監督、ポロリと『あんな奴らに負けんじゃねぇ!』って言っちゃったもんね。しょうがないよ。私達でもムカついたもん」
「先生、プライド高いしね」
私は『ウンウン』と頷いた。
「まあ、どっちにしろ、T大附属は必ず仕掛けてくるでしょ。気を引き締めていかないとね」
「そうだね。何が起こるかわからないから」
ふいに私はゾッとした。良くない事が起こりそうな気がした。
(予感、あたらなきゃいいんだけど…)
すると突然、T大附属の十一番がスリーポイントラインで止まり、ボールを宙へ放った。
 ボールはキレイに放物線を描き、バックボードへ向かって飛んでいく。そのラインはとても優美で、ウットリしたくなるほどだ。しかし私達は驚異を持ってそれを見ていた。入ってしまえば追加点となり、負けてしまうから。
(入らないでっ!)
胸の前で腕を組み、祈った。
だがボールは無情にもネットを揺らし、下に落ちた。少しもリングをかすらずに。
―帰国子女の、青山カエデだ。―







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