無い物ねだり
「めずらしいじゃない。こんなに早く学校に来るなんて。まだ八時十五分だよ」
「今日は早く来たかったんだよ」
いつもより早く登校して来た新山に手をひかれ、祝勝ムードにわく校舎を出ると、水飲み場へ行った。
 朝練が終わったグラウンドは人っ子一人いず、側にある水飲み場は校舎の影になっているため、密会をするには好都合な場所だった。しかし私の反応に不満を抱いた新山は、ふて腐れそっぽを向いた。私は小さく笑った。
(私に会うために、早く来てくれたんだろうな)
思うと嬉しくて、胸がキュンとした。ふて腐れている彼が『かわいい』と思った。
 気が付けば、私は右足が痛いのも忘れ、新山と吐息がふれ合うほど目の前に立っていた。
「漆原?」
新山が動揺しても気にしない。目をつぶれば、彼の左頬に『チュッ!』と音をたててキスした。
 目を開けると、新山が熱いまなざしで私を見ていた。私の胸はドキッとし、たまらず視線をそらした。
―新山の目が、『キスしたい』と言っている気がして―
視線をそらしたままいると、彼の男らしいしっかりした両手が私の顔を挟むようつかんだ。少し上を向かせれば、しっかりと私の瞳を捕らえた。
(もう、逃げられな。キス、されちゃう…)
胸が甘いドキドキではり裂けそうだった。
「俺の心に火を着けておいて逃げるとは、良い度胸だな」
「火なんて着けていないわ。あなたが勝手に着けたのよ」
私は新山の腰元あたりをギュッとつかんだ。そうでもしないと、甘いうずきに腰が砕けてしまいそうだった。
「『あなた』なんて、二度というな」
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
「『一成』だ。俺もこれからは漆原の事を『涼』って呼ぶ。恋人なんだ、当然だろ?」
「イヤって言ったら?」
「キスを百万回する」
「唇が腫れてしゃべれなくなるわ」



 
                           



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