無い物ねだり
「隠していないよ、何も。ちゃんと数学を教えてもらうの。苦手な教科だから、力入れて勉強しないとマジでヤバイんだよね。本当、崖っぷちなんだ」
「…そう、わかった。じゃ、先に帰るね」
「ありがとう、また明日」
風亜は笑顔になると、何事もなかったかのようにみんなの後を追い帰った。彼女の姿が消えてなくなれば姿勢を正し、再び校舎の中へ入った。
 その足で一階にある職員室へ向かった。ノックをし一礼して中へ入ると、まだ十人くらい先生が残っていて、黙々と何らかの作業をしていた。
 職員室は、教室二部屋をつないで横長に使っていた。シンプルなグレー色の机は、窓側から向かい合わせで二列に置かれている。どの机もたくさんのファイルが本棚の部分に立てられていた。
 私はその中の、窓側左端にいる恩田先生のところへ行った。先生は、明日する二年生の授業の準備をしていた。
「あら、まだ帰っていなかったの?」
「あの…お願いがあるんです」
「お願い?」
「練習をしたいんです」
すると恩田先生の真向かいに座った先生が驚いた顔でチラリと私を見た。恩田先生も少しビックリしたように眉を上げた。
「まあ、熱心ね。すばらしい!でも、さっき言えばよかったんじゃない?後片づけも一回ですむし」
「後片づけは苦じゃないので、かまいません」
「そう、いい心構えね。ところで、誰かと一緒にするの?」
「いえ、私一人でします」
「秘密の自主特訓ってワケ。あんだけしごかれてヘコたれていないなんで、大したものだわ」
「何時まで練習していいですか?」
「本来なら午後九時までだけど、期末テストが近いから、片づけ時間を含めて八時には終わらせて。あと、家の人には必ず連絡して。心配するから」
「わかりました。じゃ、失礼します」
一礼すると、職員室を出て母に遅くなると連絡し、小走りで体育館へ向かった。一分でも多く練習したかったから、すぐにでも行きたかった。


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