60代の少女
「・・・おい、元博。そろそろいちちゃんを帰してやれよ」

聞きなれた師の声が、背を押した。
不覚にも、助け舟ではないかと思ってしまう師の言葉に、元博は作業を止めた。
促すようにいちの方を見るが、それを悟ったように、いちは元博から体を背けていた。
「・・・じゃあ、私、帰るね。・・・また、来るから」
自分の荷物を抱えたいちは、走るようにして去っていった。
それを呆然と見送りながら、元博は、今日一日、何度彼女の顔を見たか、思い返してみる。
今日は全く、彼女と目を合わせていなかった。
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