偽装婚約~秘密の契約~
泣くつもりなんてなかった。
でも涙が溢れて止まらないんだ。
あの家に未練があるワケじゃない。
でも、たった数ヶ月でも思い出はたくさんあって。
それが写真のように1枚1枚浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
前の日常が恋しくなるときもあった。
晴弥に頭にくることもあった。
切なくて胸がぎゅーっと苦しくなることもあった。
それでも、あの家での生活は楽しかったんだ。
芽依やジュウゴ、森本に瑞季さん。
そして…晴弥に囲まれてあたしは楽しかった。
それでも逃げ出したのは
あずさと晴弥が一緒にいるところをもう2度と見たくないからだ。
前に進む足を止めず、服の袖で涙を拭う。
メソメソなんてしていられない。
もう今までのことは全部、思い出にして
新しい生活を始めなくちゃならないんだから。
泣いたって変わらないんだから。
必死で自分を奮い立たせる。
それでも少し気を抜けば涙が容赦なく、押し寄せる。
歩き続けること1時間ほど。
やっと気持ちも落ち着いてきて駅を目指すことに決めたあたし。
そこへ後ろから車が来る音。
自然と道の端によける。
だんだんと車が近づいてきた。
そしてなぜか突然、車は停止した。
え…?
もしかして…もう、晴弥に見つかった?
いや、そんなはずはない。
だってこの車、遊馬家のものじゃないもん。
じゃあ…何?
まさか悪い人…?
いろんなことを頭に巡らし、身構える。
でも車から降りたその人物は確かに、見覚えのある顔だった。
自然と唇の隙間からその人物の名前が零れた。
「…………………かな…め?…」