労働の価値 その2
--- 7-1 ---

しかし、
ねだんという姿は、
価値の大きさとねだんとのあいだで、
価値の大きさとそれをおかねであらわした姿とのあいだで、
量が合わないことがおきる、
それだけではない。

もうひとつ、
なかみで変わるところが出てくるのだ。


というのは、
そんなふうに量が合わないことがあると、
おかねは、
やめることになる。

ねだんで、
いつでもどこでも価値をあらわす、
ということを、
やめることになるのである。

おかねは商品の価値の姿のはずなのに。


商品にならないようなもの、
たとえば良心やプライドなども、
それをもっている人間は、
それを売っておかねにできる。

そうして、
こうしたものにねだんがつくので、
こうしたものが商品という姿になれる。


< 243 / 426 >

この作品をシェア

pagetop