サラリーマン讃歌
おそらく、恭子が盾になって俺が見えなかったので、見えやすい位置に移動した時にカーテンに触れたのだろう。

俺は空見子を見付けた瞬間、彼女に駆け寄って、思い切り抱き締めたい衝動に駆られた。

芝居を放棄して、今直ぐ全身で彼女を感じたかった。

そんな衝動を必死に押さえながら、空見子から視線を外す事なく、俺は先程のヒロインのセリフに言葉を返した。

「過去に何を言われようと……何をされようとも関係ないんです」

自身の中の激しい衝動とは裏腹に、相手を諭す様な穏やかな口調を静かに喋るよう心掛けた。

「そんな些細な事はどうでも良いんです……ただ、貴女は傷付いているだけですから」

そんなヒロインを優しく思いやるセリフを言いながら、恭子には失礼ではあったが、俺の目は空見子を見続けていた。

今、俺が言っているセリフは、主人公としてヒロインに向けて言っているのか、それとも桜井 直哉として一之瀬 空見子に向けて言っているのか自分自身でも判らなかった。

セリフを言いながら、俺はヒロインと空見子との共通点を見出していた。

お互いに過去に囚われているという共通点を。

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