切恋バスタイム(短編集)
 マスターに声をかけると、店の片隅にあるベーゼンドルファーを指差してくれる。彼女が小さく声を上げると、店内のBGMが徐々にフェード・アウトしていった。

 スツールに腰かけるとざわめきが消える。久し振りに奏でる音色に指が震えそうになったけど、大丈夫だと思った。だって僕には、“二人の味方”がついてるんだから。

 ――この曲には二つのエピソードがある。柔らかくて可愛らしい方の音色がこの子なら、低く激しい方の音色はあいつに捧げよう。

 どんなに願っても、あの思いは届かなかった。だけど、あいつは僕に大切なことを教えてくれたんだ。自分の悩みを解決してくれるのは、“時”じゃなくて“自分自身”だけなんだって。だから今、僕はこうして笑っていられるんだよ。



「……みっくん凄ーい!!最高だったよ!!」

「じゃあ、もう一曲弾くから吟(おと)が歌ってよ。」

「ええっ!?私音痴だもん!!」

「声楽学科の生徒が何言ってんの。ほら、みんな待ってるよ。」



 もしあいつも今、ここに居てくれているのなら。二人へ一気に捧げよう。この曲を元にした、『幸せになろう』という曲を。

 その手をしっかり握って、歩いていこう。あいつがきっと、空の向こうから見守ってくれている筈だから。

 辿り着くまでに時間はかかったけど、いつか必ず掴み取るよ。この曲では「幸せになりたい」じゃなくて、「幸せになろう」と歌うから。

 もうすぐ、曲が終わる。二人の人を思い描きながら、心の中で僕は言うよ。

 ――“君”を好きになって良かった、と。



fin.
2009年夏 奏音

出演
佐幸深調
三浦吟
谷野宮悠葵
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