吸血鬼の花嫁
梯子の上から、ルーが飛び降りてくる。
床に降り立つと、私を真っすぐに見上げた。
「雪深き国を護りし、青き髪のユーゼロード。幼子でさえ彼の君の名を忘れぬよう人々は、
この地をユゼと名付けた」
ルーは詩を吟じるように朗々と言葉を紡ぐ。
「ユゼ…」
この国の名前だ。吸血鬼から、取られた名。
でもそれは。
「ユゼってのは、人々があいつにつけた愛称だ」
「…あれはただのお伽話なんじゃ…」
誰も信じていなかった。吸血鬼なんて、いるわけがない。ほんの少し前まで、私もそう信じていた。
「長い長い時が過ぎていく間に、人々はあいつのことを忘れてしまった。だけど、あいつは独りでこの地を護り続けている」
「そんな…」
「この地は確かに雪が多くて住みにくいが、その分、ユーゼロードに護られ、魔の者に脅かされることもない。
他国ではこんな穏やかには暮らせねぇな。外にいたから、俺には分かる。
この地は、吸血鬼が実在しないと思うほど長く、平和だったんだ。それをとても羨ましく思う」
そういえば、ルーは人狼という生き物に噛まれたと言っていた。
もし、この地に生まれていたら、噛まれなかったのかもしれない。
ユゼに生まれてさえいたら、ルーは人のままだったのかもしれないのだ。
幼さを残したルーの顔が寂しげに陰る。
「俺、あんたが一番初めにこの城に来た時、もしかして誰かがあいつのことを思い出してくれたんじゃないかって思ったんだ」
「私は、この地を護る吸血鬼のことなんて頭になかったわ…」
「分かってる。だから、本当は花嫁に思い出して貰いたかったんだけど」
無理そうだったから、とルーは呟いた。
人々に忘れられてもなお、この地を護っていた吸血鬼。
その心と身を削って。
私に冷たかった理由はそういうことだったのだ。
何も知らず、のうのうと生きている者に良い感情を持てるはずかない。
「だから、吸血鬼のことを優しいって、人が好きだって言ったのね、ルーは…」
ルーが首を縦に振って肯定する。
私は、堪らず走り出した。
吸血鬼の元へと。