吸血鬼の花嫁
吸血鬼は、ルーに掃除の邪魔だと書斎を追い出され、数冊の本と共に食堂にいるはずだ。
小走りで食堂へ向かう。そして、勢いよく扉を開けた。
「ごめんなさいっ!」
ほとんど中を確認せずに叫ぶ。
本を読んでいた吸血鬼が顔をあげ、怪訝そうに私を見た。
「……何を急に」
「その、何も知らないのに貴方を傷つけて、ごめんなさい。
そして、貴方のことを忘れてしまって、ごめんなさい」
「……」
吸血鬼の表情は動かない。怒っているのか、呆れているのか、それすらも判別出来ずにいた。
何を今更、なんて思っているのかもしれない。
仕方のないことだ。
それだけのことをしたのだから。
「……謝る必要はない」
「え…」
予想を裏切られ、私は吸血鬼の顔をまじまじと眺めた。怒っているわけではなさそうだ。
「人と私は生きる長さが大きく違う。人が幾度入れ代わろうとも、私は一人だ。私一人覚えていることよりも、記憶を繋げて行くことのが難しいと承知している。
承知した故の選択なのだから、謝る必要はない」
小難しい言い回しは相変わらず分かりにくい。
ただ、吸血鬼は人に忘れられることを最初から分かっていたようだ。
「でも…」
そうだとするなら、納得出来ないことがある。
なぜ、人を厭うような発言をするのか。
「本当に、それだけ?」
私は吸血鬼の真意を探る。冷たい面差しの向こうにあるものを。
時が、短く流れる。
先に動いたのは吸血鬼だった。根負けしたように目を細める。
「……知っているということと、納得するということはまったくの別物だ」
やっぱりそうだ。
私の予想は間違っていない。
人々に感謝を求めているわけでも、まして崇めてほしいわけでもないのだろう。
だけど、本当は忘れてなど欲しくなかったのだ。
「ずっと、寂しかったのね、青き髪のユーゼロード」
心が凍ってしまうほどに長く。
「ユゼ」
「ユゼ?」
「人々は遠い昔、私をそう呼んでいた」
吸血鬼はそう言って、ほんの少しだけ微笑んだかのように見えた。