ざわめきのワルツ
バーのピアノといえば、例えば洒落たジャズだと思っていたけど。

涙君は、クラシカルな曲をごく絞った音で弾いた。

悲しげな曲が多い気がする。

いいの? という意味を込めて可南子さんに視線を送っても、彼女は涼しい顔だ。

「彼の音、いいでしょ」

「わかんない」

つまんないわねぇ、とか言いながら、私が作ったカシスオレンジを飲み干す。

私はふと沸き起こった疑問を口にした。

「彼…涙君、可南子さんの知り合い?」

「恋人」

「本当?」

「嘘」

可南子さんはイタズラっぽく笑う。

「いいでしょ、難聴のピアニストってやつ」

「えっ…耳が…聞こえないの?」

「聞こえないわけじゃないらしいんだけど」

そこまで聞いたところでオーダーが通り、私はカウンターに赤ワインの壜をどんっと置いた。

その隙に可南子さんは、「後は本人に聞くのね」などと言いながら、テーブルの間をすり抜けていってしまった。


涙君の弾くワルツが、静かに満ちている。

悲しげな…。
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