馬上の姫君
その年四歳になった鞆麿のあとを亀千代(九歳)と明応丸(十一歳)が追いかけるようにしてやって来た。
亀千代は坂内家の嫡子で粛清された北畠具教の外孫にあたる。年長の明応丸は三瀬谷で具教と生死をともにした金児図書頭義正・義則親子の忘れ形見である。
「おお鞆麿か、おおきゅうなったな」
 義治が優しく頭を撫でてやる。
「そなたらは、確と若君をお守りいたすのじゃ」
 信景が亀千代と明応丸に穏やかに諭した。
「そなたらも同道するが良い。お城までお送り致すのじゃ」
 出仕の支度をすませた具親が子供たちに命じた。
 波野姫と久野姫も支度して出てきたので、野津監物丞を留守番に置いて、皆で二人を鞆城まで送って行くことにした。

鞆城の手前の磯近い所に、天木番樹(むろのき)が群生しているところがある。むろの木はひのき科の常緑高木で高さ三丈五尺(十㍍以上)にもなる大木だ。昔から長寿を司る神の木として人々の崇敬をあつめた木である。

吾(わ)妹子(ぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は
常世にあれど見し人ぞなき

 義晴撰万葉百人一首歌留多の中にあった大伴旅人の歌だ。
今は亡き義藤の前で、わずか五歳の久野姫はこの歌留多をしっかりと握っていた。それを祖父定頼が褒めてくれた。あの日のことを昨日のように今も鮮明に記憶している。それ以来、この歌はずっと久野姫とともにあった。歌は、久野姫の今を、あの時点で予告していたのであろうか。
『あの時、この身が鞆の浦で過ごすことになろうとは、思っても見ないことであった』
 久野姫はそのような思いをもって、あの日の歌留多会を懐かしむのである。そして、それからの歳月が、それは青春の最も輝かしいはずの季節であったのだが、流浪の中で、あっという間に過ぎ去ったことを思うとき、身を焦がすようなもの悲しい思いに囚われる。
『そして今また、敬慕し、側近くにいつまでも居たいと願う従兄弟の五郎様までが、遠い甲斐の国に発っていかれる。もしこの歌が、未来を予告するものであるならば、五郎様に再会することはとても叶わぬことであろう』
 

< 10 / 106 >

この作品をシェア

pagetop