馬上の姫君
 家康の逆鱗に触れた一榮は敗軍の将としての責任を取り、お役免除を申し出て許され、無主牢人となって、名を一継とあらためて、諸国漫遊の旅に出た。
 鈴鹿を通り、甲賀滝の故郷を経由して伊勢に出、雲出川を逆上り、波多の横山の地にやって来たのは九月の二十日過ぎである。
 波瀬川の畔には曼珠沙華の一群が真っ赤に燃え立っている。
 そういえばあの日もこの川の両岸には鎮魂の曼珠沙華の一群が目を染めるように真っ赤に咲き誇っていた。
 そしてその華は御台屋敷の松のお方の仏間を深紅に埋め尽くしていた。
 かつて、兄弟この地で奮戦し、その後、武運に守られ一族は上昇した。その頃、兄弟の若き血潮はふつふつと煮え滾り、気力は体内に満ち満ちていた。
 あの時、兄者の通告によって捕らえられた北畠の御方様は、山間の夜道を馬の背に揺られて、大河内城まで運ばれた。
 わしはその都度、馬にお乗せ申したが、馬上の奥方は凜として、何と清楚で健気な女性であったことか。
 聞けば滝家累代旧恩の姫君であったとか。およそ三十年の歳月が経過している。
 孫八郎が、己が身に老いを感じ始めたとき、この地が身を焦がすほど懐かしく感じられたとしても少しも不思議ではない。
 孫八郎は波瀬川の畔に立ち、しばし川中の大岩を眺めて己の半生を思い浮かべた。
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