馬上の姫君
晴元は傍らの庭に花開いた曼珠沙
華の一群にぼんやりと目を遣り、静
かに落剥の痩身を揺(た)蕩(ゆた)う
ていた。
その時、城から右筆の建部賢文が
下りてきて急を告げた。
「たった今し方、本願寺大僧都大納
言光教様身罷られた由に」
「なに、証如殿が死んだと。まだそ
んな歳ではあるまいに」
義賢より晴元の方が驚いた。
「四十路にはなっておられますまい」
「急に身罷られたか。証如殿には桜子
が嫁ぐ日まで生き長らえてもらたかっ
た。のう、義賢殿」
「左様でござりまするなあ」
「こうなったからには茶々殿と桜子の
婚礼を取り急がねば。長慶めに邪魔立
てされても困る。ところで茶々殿は幾
つになられた…」
「桜子と同じ生まれ年ゆえ、たしか十
歳になったばかりでは…」
「十歳では早すぎるのう。せめて、元
服の十五までは待たねばなるまい。あ
と五年か」
「姉婿殿、それまでにもっともっと力
を蓄えねばなりませんな。どれ、私は
城へ戻り桜のご機嫌でも伺うといたし
まするか…」
沙々貴神社の修復が成ったのは、そ
の日より三ヵ月ほど経った天文二十三
年十一月三日である。しかし、その頃
の義賢は晴元の言った『祖廟を遠く離
れて流離う流浪の身』こそ、晩年の己
(おの)が身であろうとは思ってもいな
かったのである。