馬上の姫君
 和歌の浦から四国に奔る明智の落ち武者の中に、山崎でただ一人生き残った北畠の旧臣安保直親の姿があった。長宗我部を頼る一行は阿波で下船したが、直親だけは志度まで行き、更に二度ほど乗り継いで備後鞆津へ渡った。そこには北畠具親と奥方波野姫がいたからである。
 
津之郷西深津の北畠館で具親に目通りした直親は、本能寺の変後の山崎の戦いで斉藤利三の先兵として身を投じた旧臣八十名が戦死したことなどの一部始終を報告し、口を極めて説いた。
「伊勢に御戻りくださりまして、信長死後の混乱に乗じ、もう一度お家再興の挙兵をなさりませ。今が好機にござります。山崎で戦死した者たちの魂に応えるためにも是非とも旗揚げを…」
 具親は、年若い芝山秀時と大宮吉守が戦死していることを聞き知り、先ず、悲嘆にくれた。
二人は誰よりも信頼のおける忠臣であった。
 一度敵軍に持ち去られた兄具教の首級を三瀬の山麓で奪い返し、尾噺峠を越えた野々口で芝山秀定に託して埋葬を頼み、即刻、自分の所へ駆けつけてくれた。あの時、秀時の父秀定は追手と渡り合い、ついに滝壺に身を投じている。
「芝山父子の死を無駄にしたくない…」
 具親は悲痛な声を上げた。自分が何もせぬところで信長が死に、明智が討たれ、家臣の多くが死んでいった。
 何もせぬでは家臣に面目が立つまい。挙兵の行動を起こさなければ自分の気持ちが収まらぬ。
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