馬上の姫君

 永禄四年正月、木造から庸安院殿が、桃の花に梅の花を添えて多気に送ってきたのを、具教が詠む。

梅がかの にほへるかたに 立ちよれば 桃と一しほ 色ぞまされる

国永がこれに応じて返歌する。

桃ぞのや 折から梅の 咲きさびて 君にぞゆずる 千とせ三千世

 庸安院殿とは戸木の木造城主木造具康のことである。この年の正月の歌『何事をなすともなくて身は老いぬよわいも雪もつもる春哉』の歌からすると、すでにかなりの年配であったらしい。
 この時期、北畠と木造の関係は問題なく良好なものであった。しかし、数年後、侵略のDNAを持つ織田信長の調略に遭い両家は引き裂かれることになる。後年、国永が具教に背き、傀儡となった具房とともに織田信雄に降ることになるのは、松のお方の『竹松を良しなに』の言葉を斟酌したことと、竹松庸安院殿との交流が具教との交流よりも密接で暖かいものであったことによる。


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