馬上の姫君
 承禎主従と一族はひとまず甲賀の隠れ里、杉谷に逃れていた。六角氏は高頼の時代より甲賀、伊賀のどこそこにこのような緊急避難用の小城を構築していたのである。
 音羽に逼塞した承禎のもとへ妹松姫の女佐の臣佐々木与志摩が訪ねたのは永禄十二年六月初旬のことである。その日、亀寿丸の祖父になった善住坊は、子の誕生に力を得て捲土重来を決意した承禎の命を受け、弟與五郎、同輩黒川與次郎らと本能寺から硝石を買い込んで、荷駄とともに帰って来たところであった。
「丁度良いところに帰って来た。そなたらも与志摩殿の話を聞くが良い」
 縁側に立ち、半兵衛が手招きするので、三人も座に加わった。
「国司家の三男坊木造具政が織田に内通したらしい」
 与志摩来訪の目的を承禎が皆に語った。
「それは一大事、北畠の御台様に厄難は及びませぬか」
 半兵衛が心配顔で松姫の安否を訊ねた。
「今のところは大丈夫にござります。木造の家中にも織田に味方することに反対を唱えた者がおりまして、先月の二十七日、木造家老水谷俊之殿主従十余名が、御台屋敷に木造謀反を注進に及びました。そこで、水谷殿と直ちに大河内城の大御所様にお知らせいたし、また、多気御所の具房様へもご注進に馳せ向かった次第にござります」
 水谷らと与志摩が注進に及んだ大河内城には北畠具教が剃髪して入道不知斎と号し、国司職は嫡男具房に譲って隠居していた。
しかし、霧山城で全権を委ねられた肥満の具房(竹松)では頼りにならず、間近に迫ったお家騒動の危機に、全軍の指揮を取れる人物は具教しかいなかった。
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