馬上の姫君
「他家に介入し、主家に逆らう者を調略、家臣団の分裂を図ろうとする何時もの奴の手口じゃ」
 承禎も同じ手で信長からお家を分断された経験がある。家臣の多くは嫡男義治の観音寺騒動以来、氏綱の系統を主筋と仰いだ。
「加えて、木造の方が平地も多く、本城の霧山城の周辺は耕地の少ない山ばかり。分家とは言うものの農業生産においては木造の方がずっと上、何時の間にやら分家の力が本家を凌いでおりました」
「そのようなことには無頓着で剣の道にのみ邁進しておられたか」
「日頃から日置治部大夫も、『武術は臣たる者の業、御大将は采配だけを心得え、剣には深入りなさいますな』と頻りに小言を言うておりましたが、今日に至るまでお聞き入れ下さりません」
「気配りを怠ったのじゃ。油断があったのよ。ワシは兄弟をもたぬ故、弟に裏切られた具教殿の気持ちはよく分からぬが、後藤、進藤、蒲生、永田らの累代の家臣に離反されてしもうたあの時のワシの気持ちと同じで、さぞかし悔しいことであろうよ」
「その悔しさを晴らそうと、殿は木造城から取っていた人質二十人を雲出川の川べりで磔にしておしまいになられました…」
「…そうか、…もはや木造との和解はなるまいよのう…」
「御意にござりまする。…白衣に身を包み、小手を結わえられて三尺高い白木に磔られた二十人の人質の中に九歳になったばかりの可憐な少女がおりました。木造城の家老柘植三郎左衛門の娘で名を奈津と申す少女にござりました。奈津は黒髪の綺麗な、目元の涼しい利発な少女でしたが、処刑にあたる二名の兵士が槍の穂先を向けると、静かに、健気にも父のいる木造城に向かって軽く頭を下げ、『南無阿弥陀仏』と唱えて、すうっと目を閉じました。処刑の任に当たった兵士たちはその子の凛々しさに心うたれ、たじろいだようですが、もはやどうすることも出来ませぬ。中西甚太夫の号令一過、涙ながらに奈津を突いたそうにござりまする」
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