馬上の姫君
 世志摩はついに籠城の益なきことを悟り、まず具親と波野姫を逃すべく、直親や鳥屋尾義信らとともに具親のいる本丸に走った。
 そこには具親と波野姫、それに坂内御所の娘にあたる直親の奥方の三人がいた。
「殿様、直ちに城落ち下さりませ。二の丸御門からならば未だ可能にござります。他はすべて火が廻ってしまいました」
「なりません。一か所だけ開いておくのは罠にござります。おそらくその先に大勢が待ち受けているに相違ござりませぬ」
 そう言って制したのは波野姫である。
「なれど、逃げ出すことの出来るのは二の丸御門だけにござる」
 直親が悲痛な声を上げた。
「厩に馬は何頭つないである」
 波野姫が突然に尋ねる。
「十頭ほどかと」
「殿様、その鎧を私に下さりませ。私は幼少の頃より父に馬術を習ってまいりました。生家は四郎高綱より馬術の名門。父から習いおいた馬術をこのような時に役立てることが出来ますのは神仏の思し召しにざりましょう。私が殿様の鎧加太を賜り、二の丸御門より一気に討って出ることに致しましょう。さすれば、私を殿と思い敵は私を追って参りましよう。殿様はその隙に二の丸御門よりいでて、尾根伝いにお逃げ下さりませ。武門に生まれ武門に嫁いだならば、嫁ぎ先の人となって死するは当たり前のこと。殿は北畠の血を受け継ぐただお一人の大切な御方ゆえ、どうか後日を期して落ちて行かれませ。…さ早く、与志摩、直親、手を貸しゃれ」
 波野姫はそう言うと二人の手を借りて、具親の鎧加太を強引に引き剥がし、一つ一つ自分の身に纏った。
 直親の奥方も波野姫の言葉に心を動かされ鎧具足を身に纏う。
「馬をここへ引き出せ」
  与志摩が叫ぶ。芳田松右衛門、日置源五郎、春日兵衛丞らが厩へ飛んで、十頭ほどの馬を引き出してきた。最初の一頭に身も軽く飛び乗った波野姫は、
「鞆麿のことはなにとぞよしなにお願いいたしまする…」
 言い残すと馬の腹を思い切り蹴って二の丸御門へ駆けた。その後を、与志摩、直親、直親の奥方、義信と続き、さらに芳田、日置、春日、岸江、稲尾らの五騎が風の如く駆け抜けた。
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