多良カハロの告知板
2章以降、商品を「通して」、人間が集団的に定めた(定まってきた)事柄を浮かび上がらせようという試みが進められていくようです。2章では、商取引において、個人の自由になる部分とならない部分、という区別を掲げます。商取引実行の意志は個人にあるということ、一方で、その際の交換レートについては個人の自由にならない集団的なものであることが述べられます。そしてこの「個人の自由にならない部分」である「価値」が、貨幣という形に結晶していることが指摘されます。そしてあらためて、この「価値」が使用価値から独立していく歴史(マルクス風の「歴史」、といってよいでしょう)が語られます。そして金が貨幣に好適である理由を述べたあとで、しかし「金が価値をあらわしているから」貨幣になるというような転倒がおきていることが述べられます。そしてこれが金の持つ物神性だ、とまとめるところでこの章は終わります。
続く3章の第1節は、…
続く3章の第1節は、…