【短編】しろ犬のしっぽ ~幾多の時間(トキ)を経て~
零時…



「希毬さん、
起きてる?」


「はい。どうぞ」


私が部屋を訪ねると、
希毬は、
真新しい和衣を着て、
静かに正座をしていた。


私の言葉に微笑んでいたけれど、
この時間が来るのを
待っていたのだとわかる。


「行こう」



私は、
直ぐ様
希毬の手を引いて、
駆け出した。



「悠さんっ
そんなに引っ張らなくても、
私は、ちゃんと行きますから」



行き急ぐ私を
希毬は、穏やかになだめる。



ようやく、

牡丹の花咲く川のほとりに着いた。


場所を尋ねなかったのに連れてきて足を止めた私に、
希毬は、
目を丸くする。


「どこして此処だとわかったの?」


「散歩に出たときに、
牡丹が連れてきてくれたんだ。
牡丹の花咲く川のほとりって言ってたから、
此処だと思った」


「そっか」


希毬は、目を細めて微笑んだ。


そして、
静かに腰を下ろす。



「この場所で、
宗一郎さんと出会ったの」


「そうなんだ」


希毬は、
静かに頷く。


「まだ小さい牡丹を此処へ散歩に連れてきて、遊んでたの。
そこに、知らないお方が通りかかって、
牡丹が、
その方に駆け寄って、
裾を汚してしまって」


「それが、宗一郎さん?」


「そう。
とても紳士な方で、
『大丈夫ですよ。気にしないで下さい』
って、とても優しい眼差しでおっしゃって」


「そう」


「『可愛い子犬だ。お名前は?』って聞かれて、まだ、名前が決まってなくて、
そしたら、
宗一郎さんが、
ふと、牡丹の花を見て、
『じぁあ、牡丹』って言ったの」


「そうだったの」


「うん。
私が、それにします、
って言ったら、
『冗談です、すみません、
よそ様の大事な子犬に、勝手に名前を言ったりして』
って、とても謙遜されて」


「鮮明に覚えているんだね」


「えぇ…
今でも、昨日のことの様に…」


「そっか…
一度きり?」

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