パリ・ローマ幻想紀行
幾ら私とて男の意地というものがある。伊沙子さんの目につくように、テーブルの上に旅行案内の本を、さも無造作に放り出しておいた。
二~三日はそのままであった。本を選ぶ主導権が奪われた気持ちの現れであろう。結婚して、二十数年も経つと、それぐらいのことは判る。何かにつけ、主導権を奪われた時によく現れる現象である。世間の人にはこのように説明している。
「それが違うのよ、私が仁さんを尻に敷いているように見えるけど、何時の間にか仁さんのペースに填まっているの」って。
私には、人を計略に陥れる器用さはない。伊沙子さんが陽で、私が陰というバランスがそうさせるのであろう。私自身、伊沙子さんの陰の存在であるが、尻に敷かれている感触はない。伊沙子さんと私だけが感覚的に解っていることである。世間の人には、陽が目立って、陰が目立たないだけである。二~三日しておもむろに手を触れた。
「この旅行案内書、詳しすぎるわよ、何度もパリ、ローマへ行った人用ね」
そーら来た。
「その旅行案内書、何度もパリ、ローマに行った友達に選んでもらったんだ」
「ふーん」
そこには、自分が選んだのではないんだと言う不満足感と、わざとらしい自分自身の内心に対する後ろめたさが入り混じっていた。伊沙子さんは、旅行会社から送られてきた日程にあわせて、旅行案内書に載っている地図に見入っている。すっかり旅行気分である。
「スペイン広場には行かないのね。真実の口にも行かないんだわ」
どうやら『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーン気取りである。伊沙子さんが見ていないときに、私も一応地図ぐらいは見るようにしていた。これが、世間では、尻に敷かれているように写るのである。
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