パリ・ローマ幻想紀行
「自分の支度は自分でしてね。将来歳をとって、一人きりになった時に、自分で何でもできなければいけないんだから」
本心は、そうではあるまい。旅行を満喫するためには、余分なお荷物を背負いたくないからである。
 私には、ジーパンと数枚のティーシャツを用意してくれた。普段着慣れないものばかりである。私と一緒にデパートに行って、試着室に何度となく出入させられた。私はただ、伊沙子さんが選んでくるものに袖を通すだけである。私の体形や全体から受ける印象からして、まかり間違えると、珍奇な格好になるからである。私が一番似合うのは、体に染み付いたスーツとネクタイと言うサラリーマンのユニホームである。私はそれでいいと思っていた。伊沙子さんはそうした私を心得ている。旅行中は、否が応にも伊沙子さんと連れ添って歩かなければならない。伊沙子さんは、自分の服装との釣り合いを考えて、丹念に選んでくれた。珍奇な格好の人と歩きたくない、ただそれだけのことである。試着室の鏡を見て、いくらか陰から陽に変身しているのが解った。成るほど、衣服と言う奴は、その人の内面までも変えるのかと、この時に思った。私にも旅行気分が湧いてきた。私が一番気に入ったのは、明るいレンガ色のティーシャツである。
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