pp―the piano players―
 酒井君は真剣な表情を笑顔に崩した。
「言えて良かった」

 何も言えないでいるわたしの髪を撫でると、鞄を持ち直した。スーツケースの持ち手を握り、
「じゃあ、行ってきます」 と向き直って、ドアを開けて外へ出た。

「気をつけて、行ってらっしゃい」
 わたしは、半分ほどになった酒井君の背中にそう言うのがやっとで、ドアの閉まる音を聞くと熱くなった瞼を押さえた。
 出勤にはまだ時間がある。しばらくこのまま、胸が落ち着くのを待ちたい。

 家族になろう。

 暗闇の瞼の裏に、様々な人の顔が浮かんだ。その中には、仕事で出会う子どもたちや、何度かお会いした酒井君の家族、えみちゃんを囲んだ宮間さん一家、先生と加瀬さん、そして。
 五年前の姿のままの、圭太郎君。

 押さえた手のすき間から、すっと頬を伝ったもの。その理由がわからない。
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