pp―the piano players―

 病棟の一角に、電子ピアノが置いてあった。
 病室から出てきたドゥメールはそれを見つけると、僕らに耳打ちする。ニーナは「Es ist ein guter Gedanke.」と同意した。いい考えですね。それから、僕に目配せする。

 ナースステーションで、僕は名刺を差し出し、ドゥメールの提案を伝える。はじめ少し訝しがられる。ニーナのタブレットを借りて、ザビーナ・ドゥメールというフランス人ピアニストを紹介する。事務方の職員が動き回る。僕もそれに同行した。承諾を得る。全く急だが、今からドゥメールがボランティアリサイタルを行うことが決まった。

 患者やその家族など観客はまばらだ。
「こんばんは、今日は突然のことなのに、たくさん方のご理解があってこうして演奏できます。ありがとう。どうぞ、気楽に聴いてください。皆さまにはどうか神のご加護がありますよう」
 ドゥメールが自分で話し始めると、達者な日本語に観客の表情が和らいだ。椅子に腰掛ける。
「お客様が目の前にいることはないから緊張するわね」
 そんな軽口を言うと、また場が温まる。
 そしてさらりと弾き始めた。
 私からのご挨拶です、とそのイントロに乗せて言う。エリック・サティ「Je te veux」。

 私はたっぷりヨシと話せたわ。次は貴方の番よ。
 と、ドゥメールは言った。熱いお茶を入れた紙コップに、圭太郎がまさに口を付けようとしていたときだった。
「でも」
「行きなさい、「先生」が待っているわよ」
 そして圭太郎の紙コップを取り上げた。

 ロビーの隅で、ニーナと並んでドゥメールの演奏を見ている。続いては、日本のアニメ映画のテーマ曲。それからクラシック。まばらだった観客も、今は人垣が出来ている。
 圭太郎は白峰美鈴と何を話しているのだろうか。
 窓の外には夜の帳が降りている。
< 280 / 359 >

この作品をシェア

pagetop