pp―the piano players―
 楽譜が散らばった部屋に、ピアノとピアニストがいる。肩で息をして、圭太郎が睨む。
「あいつを追えよ! 早紀を一人にするなよ!」
 怒号が飛ぶ。
「泣いているだろうが」

 泣いているのは、圭太郎も一緒だった。ワルツの途中から、顔は歪み、黒い双眸は潤み、そのまま水分は耐えられずに流れていた。ずぶ濡れになった小さな動物のように――

 哀れな黒猫。東洋からの迷い猫。

 その言葉を思い出す。

「ニーナ」
 彼女が既にここに到着し、部屋の外から事の成り行きを見ているのには気付いていた。
「なに」
「圭太郎に会わせたい人がいるんだ。K.Assmann……チェリストだと教えてくれたね、連絡を取れるかな」
 圭太郎が目を丸くする。話が理解出来ないという表情で。
「やってみるわ」
 後ろからは、自信たっぷりのニーナの返事。どうやら、同じことを考えていたらしい。

 ポケットからハンカチを出すと、圭太郎に渡した。
「圭太郎、そのぐずぐずな顔をどうにかしてくれないか」
「……余計なお世話だ」
 圭太郎は受け取らず、自分のハンカチを使って顔を拭う。
「圭太郎が知りたいことを、たぶん知っている人がいる」
 圭太郎はまた目を丸くした。が、その顔のことを指摘されたのを思い出してか、すぐに視線を外した。
「どこに。先生か」
「違う。おそらくその人はドイツにいる。会おう、ドイツに戻って」
 圭太郎の目線は、ドアの向こうへ移る。早紀を追っている。

「僕は早紀の傍にいたい」
 言い切ってから、続ける。
「でも早紀は、僕が圭太郎の力になることを望んだ。僕は、僕の望みよりも、早紀の望みを叶えたい」
「圭太郎、あなたがきちんとピアノを弾けるなら、私達はなんだってするわ」
 ニーナも加勢してくれる。僕たちのピアニストは、複雑な表情のまま、小さく頷いた。
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