抱けないあの娘〜春〜
「咲哉、どこ行ってたんだよ。夕飯もあまり食べてなかったし。コーチには何とか誤魔化したけど。」


坂出は真咲とメールをしながら僕に聞いてきた。


「あ、ああ、悪い。目の中の砂がなかなか取れなくてさ…。」


「ふぅん。」


ルームメイトでもある坂出はメールを打つ手を止め、僕の方をちらりと見たが、尋常ではないであろう僕の精神状態を察したのか、それ以上は聞かなかった。


「風呂入ってくる。」


寮の廊下を歩きながら、僕は少し前に起きた出来事を、頭の中で何度も最初から巻き戻していた。


さつきさん…



思わず抱きしめた時、ビクンと体を強張らせたさつきさん。


黒くて艶やかな長い髪が僕の頬にあたる。


僕の腕の中にすっぽりと埋まる華奢な体。甘い香り。


あのまま時が止まってくれればいいと思った。



帰り道も、繋いだ手の柔らかさに戸惑い、やっぱり顔を見ることが出来なかった。


綺麗すぎるんだ。



あぁ、ちゃんと家に帰れたかな。出来ることなら家まで送りたかった。玄関に入るまで、見届けたかった。


やべぇ。



完全に墜ちた。



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