忘れ去られたもの
「うーん。ま、陵市。今日も頑張れな」

 陵市はわたしの肩を叩き、マスターはカウンター越しから陵市の肩を叩き、わたしはマスターを叩こうにも全然届かなくて、銀色に輝くシェイカーはマスターの大きな手に握られたまま、わたし達を静かに傍観しているよう。きっと、恥ずかしがり屋なのだろう。

「ん? ところで、何を頑張るの?」素朴な疑問が湧き上がり、席に着いたわたしは陵市に訊いた。

「…………」

 陵市は、何か言いたそうにしながらも、何も言わず、黙ったまま。
 わたしは、陵市の耳まで掛かった長髪が気になりだして、「えい、えい」と手で払い、自分の三日前に切って、ショートカットにしてもらった髪を指でくるくる回し、周りをキョロキョロ無意味に見渡しつつ、くまさんと田口くんがころころ転がるイメージを遮るように片耳をカウンターで塞いで、「うん、聞こえないね」目を瞑った。

 ☆ ☆ ☆

 目が覚めたら、眼前に陵市の後頭部が見えた。おんぶしてもらっているみたい。街頭が霞んだ光を讃え、とても綺麗だった。仕様が無いので、わたしはすぐさま目を瞑る。
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