桃茶庵にようこそ
その壱 山に棲む
山の彼方の空遠く 幸い婆の棲むといふ。

山の麓が良いと思う。
海よりも、山である。
魚介が美味く安価に手が入るのは良いが、あの潮風というのはいただけない。
洗濯物がパリ、と乾かないのが気に入らない。
山は空気が清浄にて、山の木々が埃とともに人の邪気も濾過してくれるようなところがある。やはり、老いて住むには山である。
とは言っても、あまりに辺鄙であると友人達の足も遠のく。
訪ねてくれば獣道を猪と遭遇、というのはちと、困る。
なので、山の麓の自然に囲まれた古い街の一角が良い。
比叡山麓から湖西を北に登って、安曇川のあたりか、さては琵琶湖の東側を回って、彦根、伊吹山の麓でも良し。
海にはさして心惹かれぬが、琵琶湖というのは古代よりの地層が興味深くサンプリングされておる場所にて、老後の夢の傍らにアンモナイトが棲むというのも悪くないと思うのである。
老いて棲む家を、私は桃茶庵と名づけた。
難しい謂れは特になし、桃源郷の桃と、茶でも飲んで行かんかというくらいの意味である。
庵を構えるのは古い街並みの大通りから路地を入ってしばらく。
路地という空間が、パブリックな場所からプライベートな場所への程よいアプローチになるところが、日本の優れた文化である。
日本の家屋の中で、良いと思うものがいくつかあるが、路地はそのひとつである。
路地を進んで突き当たれば、小さな引き戸があり、そこが玄関代わり。
格式ばった門はいらぬ。通りから路地を進む数分間がゆっくりと私空間に変えてくれるのだ。
引き戸を開ければ、土間となる。
土間もまた、日本家屋のファジーな特色のひとつである。
いったい、そこは外なのか、内なのか、曖昧にして居心地良し。訪ねて土間で語れば、ではまた、結構な頂き物を、今後もどうぞ、などという、面倒くさい挨拶をせずとも、団地の角でちよっと井戸端会議しちゃったわ。じゃ、夕食の仕度があるからまたね、という程度で帰れると言うものである。
居心地の良い店に「こころもち、えこひいき」というのがあるが、土間という
のは、それに似ている。全く他人扱いでは愛想なし、かといって内輪になってし
まうと面倒くさい。
ほんの少しのえこひいきが心地良い、というそれである。
 



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