「奥さん。スゴッ……凄く美味しいです」


 バリバリの営業マンだった頃の俺は、その羽振りの良さに任せてかなりの贅沢をしていた。

しかしその時のご馳走が束になって掛かっても敵わない程に、奥さんの牛タンは胃袋へ染み渡る。


「どうした、泣く程旨いのか? 良かったな。でも全部は喰うなよ? 儂も好物なんだからな。はっははっは」


 そう広瀬さんから言われて、自分が涙を溢していた事に漸く気付いたんだ。


「食べたければもっと焼きますよ? お父さんたら、折角泊まりに来てくれたのにケチケチして! ねえ、お兄ちゃん」


 俺は広瀬夫婦のやり取りに、笑いながら涙を流していた。その頬を伝う物は寂しさからとも悲しさからとも違う、熱く溢れ返る胸の内が呼び覚ました感涙だったんだろう。

 こんな事を言ったら失礼かと思うけど、現場職人丸出しの広瀬さんには不似合いな程に奥さんは上品で綺麗な方だった。

今は思い出の中でしか逢うことの出来ない亡き母とイメージが重なり、余計に涙腺を刺激したんだと思う。


「母ちゃんにゃ敵わねぇなぁ。そういう事だ、バンバン喰ってくれ」

「すいません。遠慮無く頂きます」


 俺は涙で少ししょっぱさが増した牛タンを頬張っていた。


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