インテリと春
震える両手でなんとか傘を広げている彼女の背中にぽつりと言い、あたしは自分の下駄箱からローファーを取り出す。外を見ると雷は随分遠くへ行ってしまったようだ。音も腹に響く程ではないし、光も視認出来ない程になってきている。
けれど、土砂降りは止まない。
「あれ?いつの間にか結構遠くに行ってね?全然音聞こえないんだけど。ねーマユ、」
地面に輪を描く水溜まりから目が離れなかった。途切れることのない雨音が耳から離れなかった。身体が、動かない。右手のローファーを手放してしまいそうになる。
「マユコ」
噛み締めていた唇から力が抜け、はっと我に返る。あたしの名前を呼んだのは、言うまでもなくアケミの声。
「ごめんマユ、やっぱここまでで大丈夫だから」
「な、何言ってんのあんたいきなり、」
「いいんだよマユコ。しんどい事は我慢しなくたっていい。しんどいならそう言えばいい。何も恥ずかしくなんかないよ」
広げたビニール傘を肩に乗せて、アケミは優しく笑ってくれた。もう雷も遠くまで離れたし、一人でも大丈夫だと、今も御健在なボブヘアを揺らしながら手を振ってくる。
やがて雨の中を帰っていく彼女の背中を眺めながら、つくづく思うこと。もしもアケミが居なかったら、あたしは今も一人。もしもアケミが居なかったら、あたしは今も笑えていない。それを考えると、彼女の存在は友人なんて安い言葉じゃ到底言い表せられないのだ。