上海ふたりぐらし
 宿題は息子にも平等に出され、もちろん私が手伝った。
 まず宿題をメモにとる→日本語中国語の両方で息子に質問を伝える→息子の出した答えを中国語に訳す→それを暗記させる という作業を繰り返した。それに加え、毎週一回「新聞紹介」の授業があり、記事をよく理解し、その絵を書き、そしてみんなの前で発表しなければいけない。先生は息子を特別扱いしなかった。私も自分の勉強で大変だったが、息子に恥をかかせるわけにはいかない、と毎週新聞を買い、記事を探すことから始めた。 
 発表のため、絵を描かせ、その裏に中国語で短くまとめた記事を書いた。もちろん彼は読めないので、拼音(ピンイン)(フリガナ)を振り、その上にまた片仮名を降り、内容も説明してあげなければいかなかった。
 語学の面での彼の進歩はめざましかった。一日しゃべって動いていないと気のすまない性格の彼は、「おともだちと もっと おはなし したい」一心で、自分から進んでどんどん皆の輪の中に入っていった。覚えた言葉はすぐ使い、間違いはその場で直してもらい、気がつくと3ヶ月後にはペラペラになっていた。
 毎日8時間も中国語にどっぷりつかっているのだから、うまくなるはずだ。テレビを見てもラジオを聴いても、バス・地下鉄の車内放送でも、耳から入ったものはすぐ覚えてしまう。
 私の方はどうかというと、クラスをひとつ落としたにもかかわらず、毎日宿題をするのがやっとだった。勉強している内容は理解できるが、思うように話せない日々が続いた。復習する暇はなく、授業をこなすには、宿題と予習をするので精いっぱいだった。
 子供がいて時間に限りがあるため、中国人と接する機会が少なく、結果、机上の勉強だけになっていた。2ヶ月ほど経って、このままではダメだと家庭教師を探すことにした。
 こうして、運命の歯車が動き出した。
 
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