上海ふたりぐらし

　ある日、実家に帰ったとき母が言った。
「あんた、最近いつ笑った？」
　ハッとした。そういえば、長いこと笑ってないような気がする。母は知っていたんだ、私の顔から表情が消えていたのを。
　姑の世話をめぐり、次々に起こるやっかいな問題、夫への不信感が募り、子育てにも追われ、私は心も体も疲れ果てていた。もし、母の一言がなかったら、あのままうつになっていたかもしれない。きっと留学どころではなかっただろう。母に感謝！
　母のことばで私は自分を取り戻し、再び離婚と留学の準備を始めた。無事に別居できたときは本当に嬉しかった。これで、ひと段落。次は、留学の具体的な準備だ。子連れということもあって、まずは仲介会社に行ってみることにした。何か役立つ情報が得られるかもしれない。
　あらかじめ用件をメールで送っていたにもかかわらず、約束の時間に行くと、話しはわずか一分で終わった。担当者はこう言った。
「ニュージーランドやハワイなら聞いたことあるけど、中国にわざわざ子連れで留学するなんて、聞いたことがない。前例がありません。もしいい方法が見つかったら、逆に教えてほしいくらい、今後の参考にさせてもらいますよ。」
「はぁー？」
　それなら、先に言えっつーの。一時間もかけて行ったのに。何のための事前予約なの。
と、心の中でなじったものの、担当者の言葉を聞いて私はがっかり。なぜなら、大手の仲介会社がお手上げだっていうのに、私一人でこの留学を実現できるんだろうか？しかし、私はすぐにこの弱気な考えを打ち消し、そして自分に誓った。
「前例がない？じゃ、私が第一号になってやろうじゃないの。絶対に息子を連れて中国に留学する。これは、私の十年来の夢だ、そう簡単にはあきらめない！」